長久手文化の家へ

昨日、ようやく茨木のり子さんの劇「蜜柑とユウウツー茨木のり子異聞」を

長久手文化の家に観に行くことができました。

 

当日のリーフレットを見て、「異聞」の意味をようやく、納得。

お話は、茨木のり子さんが亡くなって数か月後ことで、

彼女のユーレイが登場してました。

 

舞台は、茨木のり子さんの家を紹介する本でみた内装が

そっくりに再現されていて、丁寧なつくりでした。

 

詩の朗読もあり、たくさんの詩を知っている人にとっては、

様々な詩にまつわる小道具ー例えば、コーヒーや椅子、蜜柑、レインコート、

などなど…エピソードや会話が、至る所にちりばめられており、

また、細部までよく調べられていて、とても繊細な脚本だなと感心しました。

茨木のり子さんの詩の中で、一度も朗読したことはないですが、

私はこれが一番好きです。この詩も劇中に出てきました。

 

 

 ぎらりと光るダイヤのような日

                            茨木のり子 
 
  短い生涯
  とてもとても短い生涯
  六十年か七十年の
 
  お百姓はどれほど田植えをするのだろう。
  コックはパイをどれ位焼くのだろう
  教師はおなじことをどれ位しゃべるのだろう
 
  子供たちは地球の住人になるために
  文法や算数や魚の生態なんかを
  しこたまつめこまれる
 
  それから品種の改良や
  りふじんな権力との闘いや
  不正な裁判の攻撃や
  泣きたいような雑用や
 
  ばかな戦争の後始末をして
  研究や精進や結婚等があって
 
  小さな赤ん坊が生まれたりすると
  考えたりもっと違った自分になりたい
  欲望などはもはやぜいたく品になってしまう
 
  世界に別れを告げる日に
  ひとは一生をふりかえって
  じぶんが本当に生きた日が
  あまりにすくなかったことに驚くだろう
 
  指折り数えるほどしかない
  その日々の中の一つには
  恋人との最初の一瞥の
  するどい閃光などもまじっているだろう
 
  <本当に生きた日>は人によって
  たしかに違う
  ぎらりと光るダイヤのような日には
  銃殺の朝であったり
  アトリエの夜であったり
  果樹園のまひるであったり
  未明のスクラムであったりするのだ
                                 詩集『見えない配達夫』より

 

 

そして、

役・吹抜保の最後のせりふに…「茨木のり子さん、お幸せに」とあるのですが、

少しだけ、彼女の人生や、生き様に著書や詩集を通して触れたつもりの私は、

「お幸せに」を「お疲れさま」と言い替えたいような気持ちになりました。

 

久しぶりに観劇にいき、上質な作品に出会えて、うれしかったです。